東京高等裁判所 昭和29年(う)2585号 判決 1955年4月19日
控訴人 被告人 原山要太
弁護人 関川寛平
検察官 小西太郎
主文
(一)原判決を破棄する。
(二)被告人を懲役七年に処する。
(三)押収にかかる清酒「井筒長」二合入空瓶一本(長野地方裁判所昭和二十九年領第二三号の一)及び二合瓶入ホリドール混入酒若干(前同押号の二)はいづれも没収する。
(四)原審ならびに当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は弁護人関川寛平提出の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。
一、論旨第一について
原判決摘示の証拠によると、被告人は原判決摘示のような事情から、原判示相島長四郎を殺害する目的をもつて、昭和二十八年十月十七日農薬ホリドール乳剤を日本酒に混入した上、これを原判示相島長四郎方の隣人を介して右相島に供与したが、同人はこれを飲用せずして自宅に放置しておいたところ、約半年を経過した昭和二十九年四月七日同人の妻トクエは知人の横田文治郎が酒好きであるところから同人に対し前記日本酒を毒酒と知らないで贈与したが、これを貰受けた横田は同夜これを飲用したため、ホリドール服用による内因的窒息により死亡した事実を認定するに十分である。所論は「被告人は相島長四郎を殺害する意思はもつていたが、横田文治郎を殺害する意思はなかつた。横田文治郎の死亡はひとえに相島トクエの行為に基因するものであるから、被告人は相島長四郎に対する殺人未遂罪の責任の他に、本件毒酒を相島以外の者が飲用するかも知れないということを認識しなかつた点において過失致死の責任を負わねばならないのは格別、横田文治郎に対する殺人既遂罪の成立する余地はない。」と主張するが、およそ殺人の罪は故意に人を殺害するによつて成立するものであつて、その被害者の何人であるかは毫もその成立に影響を及ぼすものではないから、原判示のように、いやしくも人を殺害する意思をもつて他人に毒酒を供与し、因つてこれを飲用した者を死亡せしめた以上は、仮令その飲用死亡者が被告人の意図した者と相違していたとしても、なを被告人に殺人罪の刑責の存することは論をまたないところである。もつとも被告人が相島長四郎に毒酒を贈つてから横田文治郎がこれを飲用して死亡するまでの間には約六ケ月の期間があり、また横田文治郎に毒酒を贈つた直接の当事者は相島トクエであつて、被告人はそのことを全然予想していなかつたことは原判決も認定しているところであるけれども、一件記録に徴すると、本件の毒酒は当初から致死量の有毒物を含有していたものであつて、六ケ月の期間の経過により特に毒性が発生したものでないことが明らかであるから、右期間の経過は、被告人の行為と横田文治郎の死亡との間の因果関係を中断せしめるものではなく、また原判示のような毒酒による殺人罪の実行行為は、これを相手方に提供することにより終了し、それ以後の経過、即ちこれを誰が飲用するかというようなことは、専ら犯人の意思以外の外的条件の推移によつて決定されるものであるから、犯人が殺害しようと意図した者以外の者は絶対に飲用することがないというような特殊の事例の場合は、格別、本件のように相島長四郎以外の者が飲用する可能性の多分に存する場合においては、被告人の毒物提供の行為と、横田文治郎の飲酒死亡との間には因果関係の存するものと認めるのを相当とし、仮令その間に相島トクエの行為が介在したとしても、なお右の因果関係は中断されるものではないと解するのを相当とする。してみれば原裁判所が原判示事実を認定したうえ、刑法第百九十九条を適用処断したのはまことに相当であつて、原判決には所論のような事実誤認もしくは法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。
一、同第二について
本件は計画的な犯罪であり、その犯行の方法は猛毒物の使用であつて、しかも殺人の実害が発生していることなどに鑑みると、被告人の責任は決して軽微なものではない。けれども記録を査閲し、かつ当裁判所で施行した証拠調の結果に徴すると、本件犯行の動機にはやや憫諒すべきものがあり、その犯行の手段も良識ある者には直ちに看破されるような幼稚な方法であつて、現に被告人が殺害しようとした相島長四郎自身は贈られた毒酒の外見、味覚等から不審を抱いてこれを飲用せず放置しておいたこと、同人の妻相島トクエはその約半年後前記酒の品質等について何等確認の方法をとらず漫然とこれを横田文治郎に与えたため、同人はこれを飲用し死亡するに至つたこと、即ち被告人の犯行と被害の発生との間には約六ケ月の期間が存し、かつその間には前記のような相島トクエの過失的行為が介在していること、被告人は本件犯行後改悛の情が顕著であり、被害者の遺族に対し慰藉料四万円を贈つて謝罪し、右遺族においても被告人を宥恕していることが認められるが、これに被告人の経歴、家庭の状況その他諸般の事情を斟酌考量すると、被告人を懲役十年に処した原判決の刑はやや重きに過ぎると認められるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条、第三百八十一条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書によつて当裁判所において直ちに判決するところ、原判決が証拠に基いて認定した事実に法律を適用すると被告人の所為は刑法第百九十九条に該当するから所定刑中有期懲役刑を選択しその刑期範囲内で被告人を懲役七年に処し、押収にかかる主文第三項掲記の物件は被告人が本件犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法第十九条第一項第二号第二項本文によつてこれを没収すべく、原審ならびに当審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条に則り全部被告人に負担させることとする。
なお、本件起訴状には罰条として「刑法第二百三条、同第百九十九条及び同法第百九十九条」と記載されており、これを公訴事実の記載と対照すると検察官は原判示のような被告人の行為を目して相島長四郎に対する殺人未遂罪と、横田文治郎に対する殺人既遂罪の二つの罪が成立するものとして起訴しているようにみえるが、前に説示したように、原判示被告人の所為は被告人の目的には関わりなく、横田文治郎に対する殺人既遂罪であると解する以上、相島長四郎に対する殺人未遂罪の成立する余地は存在しないから右検察官の見解は相当ではないが、右は単なる法律上の意見の相違に皈するからこの点については特に主文において判断を示さない。
よつて主文のように判決する。
(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 山岸薫一 判事 下関忠義)
控訴趣意
第一原判決は法令の適用を誤つて居る。
本件につき原判決は刑法第一九九条を適用処断しておるがこれは法令の適用を誤つておるものである。抑も被告人は相島長治郎を殺害せんとして昭和二十八年十月十七日同人に対し二合瓶入毒酒を贈つたのであるが相島はこれを試味しその味の異常なるを知つて飲用を止めたるため殺害の目的を達し得なかつたのであるからこの点において相島に対しては殺人未遂罪を構成するものと言わなければならない。
その後約六ケ月を経過した昭和二十九年四月七日相島の妻扶美子ことトクエ(当四十三年)は右毒酒を横田文治郎に贈与し横田はこれを飲用して死亡したのであるが被告人としては横田に対し何等殺意のなかつたことは勿論相島若しくはトクエが右毒酒を他人に贈与し又は他人と共にこれを飲用しその他人をこれによつて死に致すことがあるかも知れないということなども毛頭考えても居なかつたのであるからこの点において被告人に殺人罪は構成しないものと信ずる。唯被告人が相島に贈つた毒酒は普通の清酒に農薬ホリドール乳剤を混入したものではあるが外観は一応飲用可能の状態を呈して居たものであるから相島若しくはその家族がこれを他人にも飲ませ或は他人へ贈与することもあり得ることは考えなければならないことであつたが被告人は不注意にもその量は僅かに二合に過ぎず殊に相島は元海軍士官であつた人であるから相当酒量もあり自分一人で飲みつくすものと軽信し贈つたためこれをトクエから貰受けて飲用した横田がそれに因り死亡したのであるから横田との関係においては被告人は過失致死の責任は免かれないものと思料する。
旧大審院判例(大正六年十二月十四日第一、第二、第三聯合刑事部判決)は苟も他人に対し故意に暴行を加えて因て傷害の結果を生ぜしめたる以上縦しや其傷害の結果が犯人の目的としたる者と異る客体の上に生じたる場合と雖も暴行の意思と其暴行に基く傷害の結果との間に因果関係の存在を認むることを得べく従て傷害罪の成立に必要なる条件に欠くる所なきを以て犯人は刑法第二〇四条の罪責を負うべきものにして暴行の認識なき過失傷害罪を以て論ずべきものにあらず、となして客体の錯誤が故意を阻却さざる旨を判示し爾来客体の錯誤の場合にも打撃の錯誤の場合にもこの理論を貫いておる。然しながら本件は斯様な場合と事情を異にし相島長四郎に対し殺害の故意を有せる被告人と現実に死亡せる横田文治郎との間に殺害せるべかりし相島長治郎と殺害とは何等関係なき相島の妻トクエとが介在しこのトクエがその過失によつて本件毒酒を更に横田文治郎に贈与したため横田がこれを飲用して死亡したのであるから被告人が相島を殺害せんとして同人へ毒酒を贈つただけのことが直ちに横田を殺害したものと断ぜられた原判決は到底被告人の首肯出来ないところなのである。
(その他の控訴趣意は省略する。)